ASEAN諸国における地場銀行業の比較計量分析[1]

―銀行再編への政策的インプリケーション

 

奥田 英信(一橋大学経済学部)

 

1.はじめに

 

アジア危機が1997年に発生して以来、すでに4年が経過した。危機発生後、ASEAN諸国は先ず金融システム維持を最優先として、問題金融機関を公的管理下に置くと同時に大量の公的資金を注入した。続いて不良債権の処理手続と金融諸規制の改革が進められ、金融情勢は一応危機的状況を乗り越えたといえる。しかし、不良債権処理や金融機関のリハビリなどは、未だ途の半ばである。経済情勢の後退も有りえることを考えれば、本格的な解決までには今後もなお長期を要すると思われる。

ASEAN諸国において、今後も相当の期間に渡って銀行部門は引き続き各国の金融活動の最も重要な担い手と考えられており、現在大規模な銀行の再編と再建が進められている。その動向については、世銀やIMFなどの国際金融機関や民間金融機関や調査機関等によって詳細にフォローされてきた。また、ASEAN諸国と極めて密接な経済関係を持つ日本においても、多くの関心が払われてきた[2]

先進国の銀行部門・金融部門については、ミクロ的な側面から多くの先行研究があり、金融政策や金融制度をめぐる議論を展開する場合には、これらの研究の蓄積が学会・業界・政府にとって共通知識となっている。今後、ASEAN諸国における金融部門の発展について、正しい政策対応をしていこうとすれば、金融部門の中核である銀行業の構造を経済学の分析手法を用いてフォーマルに分析することは必須の課題である[3]

 

2.報告の目的と構成

 

本報告の目的は、1990年代前半の銀行ミクロデータを利用して、フィリピン、タイ、マレーシアの銀行業の経営構造および効率性について計量分析を行い、今後の銀行部門の再編に関してその政策的な含意を吟味することである[4]。その主要な検討課題は3つある。第1は、個別銀行ミクロデータを利用してできるだけフォーマルな計量分析を行い、これまで断片的に述べられてきた各国の銀行業の経営構造について明らかにすることである。第2は、3カ国の計量分析結果を比較することにより、アジア危機前の各国の市場環境の違いが、銀行経営構造の違いとどのように対応しているかを考察してみることである。第3は、以上の検討結果を総合的に利用して、現在進められている各国の銀行再編について、どんな政策的なインプリケーションが示唆され得るのか考察することである。

本報告の構成は以下の通りである。まず、続く第1節では、金融改革によって各国の銀行が直面した問題とそれに対する対応について、簡単に概念的な整理をする。第2節では、各国の金融改革の特徴と、銀行を取り巻いた市場環境についての国別の違いを概観する。続く2節では、個別銀行のデータを利用して、フィリピン、タイ、マレーシアにおける銀行業の経営構造の変化について検討する。まず第3節では、ミクロ・データを利用した計量分析の推計結果から各国の類似点と相違点とを指摘し、続いて第4節ではそのような違いと各国の金融制度・政策の違いとの相関的な関係を考える。第5節では、アジア危機後の各国の銀行改革について取り上げる。危機後の銀行部門を取り巻く市場環境の変化について特徴をまとめ、第6節では、計量分析の結果を利用して、現在進行中の改革について更に検討すべき政策的な検討課題を指摘する。

 

3.費用関数の推計結果

 

本報告の分析の結果(付表1)によれば、各国における銀行の生産構造には互いに差異が観察され、その特徴は各国の市場環境や金融制度の違いと対応的であるように思われる。金融自由化政策で最も長い経験を持つフィリピンでは、国際機関の指導の下で厳しいプルーデンシャル規制が導入されてきた。フィリピンの銀行業では、規模経済性(スケール・メリット)と範囲経済性(多角化の利益)が両方とも観察されるなど、ミクロ的にみて合理的な銀行経営が観察された。また、経済が不調でプルーデンシャル規制も厳しいことから、同国の銀行業では、融資規模を拡大するよりも収益性の向上を指向するような特徴が観察された。しかしながら、フィリピンの銀行業では、銀行間の費用効率に著しい格差が観察される。このことは、依然として非効率な銀行が市場から退出せずに生き残っていることを意味しており、今後、さらに徹底した競争政策が求められよう。

 

(付表1)東南アジア諸国における地場銀行費用関数の推計結果

 

フィリピン

観察期間:1988-96

タイ

観察期間:1985-96

マレーシア

観察期間:1991-96

規模弾力性

 

0.984***

規模経済性有り

0.859**

規模経済性有り

1.143***

規模非経済性有り

範囲補完性

 

-0.005***

範囲経済性有り

      

 

0.154***

観察されない

技術進歩

経時的に費用が低下

経時的に費用が低下

経時的に費用が増加

技術進歩の

バイアス

資金節約的

労働使用的

物的資本使用的

(資金節約的)

労働節約的

(物的資本使用的)

資金節約的

労働使用的

物的資本使用的

(注)***, **, *はそれぞれ1%, 5%, 10%で有意。

 

金融自由化政策の歴史が比較的浅かったタイでは、規模経済性は観察されたものの範囲経済性は確認できなかった[5]。また、当局の監督が不十分でプルーデンシャル規制も弱かったことから、好調な経済情勢を背景として、融資規模を急激に拡大する様な規模拡張的な傾向が銀行経営の特徴として観察された。このような経営がタイの銀行不良債権問題を悪化させた重要な要因となった可能性があり、プルーデンシャル規制の強化が強く求められよう。

マレーシアの銀行業では当局による銀行経営への監督が厳しく、ともすればブミプトラ政策など社会政策への配慮から銀行の自立的経営に問題が生じがちであるとの指摘もある。マレーシアでは規模経済性も範囲経済性もいずれも観察されず、効率的な銀行経営がなされているのか疑問が残る。また、マレーシアでは、規模の小さい銀行程経営効率が高いという傾向が観察されており、上位行が潜在的な競争力を十分に発揮していない可能性も考えられる。今後より効率的な銀行経営を実現するためには、これまでの社会政策的な介入を廃止して、より競争的な市場環境を整備することが求められよう。

 

4.銀行再編への政策的インプリケーション

 

この様な分析結果は、2つの問題を現在の銀行再編について示唆していると思われる。第1は、効率的で耐久性の強い銀行を作るには、プルーデンシャル規制を強めると同時に政府介入を排除して自由な市場競争を実現することが必要であるということである。その意味で、アジア危機後の銀行再編が単なる統合による規模拡大にとどまるなら、経営効率の改善を実現するには不十分であろう。我々の推計結果によればフィリピンの銀行がタイやマレーシアの銀行よりも、収益志向的で効率性の高い保守的経営をしていたことは、この点について示唆的であろう。

第2は、しかしながら、経営効率の改善だけでは、社会的に期待される銀行の役割は果たせないということである。確かにフィリピンの銀行は個別には効率的でアジア危機への耐久性が高かったかもしれないが、同国の経済は決して望ましいマクロ・パフォーマンスを達成していたわけではない。今後、厳しい市場競争に各国の銀行が直面したときに、社会的にみて期待される役割と効率的経営とを両立させられるか、改革の真価が問われることになろう。ミクロ的経営効率性の追求が社会的にも望ましい銀行機能の実現につながるための市場環境つくりとして何が必要なのかが、これから検討されるべき金融行政の重要な課題であるといえよう。

 

 

 

補足:推計に使用した統計資料とデータベース

 

各国個別銀行Annual Report各年号

Association of Banks in Malaysia, Bankers Directory各年号

Bangkok Bank, Statistical Data on Commercial Banks in Thailand各年号

Bank of Thailand, Quarterly Bulletin各年号

Bank of Thailand, Financial Institutions and Markets in Thailand各年号

Bank Negara Malaysia, Money and Banking in Malaysia各年号

Bureau Van Dijk, Bureau Van Dijk-Bank Scope

SGV, A Study of Commercial Banks in The Philippines各年号

 



[1] 本報告奥田英信(2001)「ASEAN諸国における地場銀行業の比較計量分析」『開発金融研究所報(国際協力銀行)』第8号、(国際協力銀行ホームページhttp://www.jbic.go.jpにも掲載)に基いている。

[2] 財務省(2002)『アジア経済・金融の諸問題への取り組み』を参照。

[3] ASEAN諸国の銀行業の経営構造や経営効率についての、ミクロ的な構造分析まで踏み込んだ研究はこれまで十分とはいえなかった。ASEAN諸国の銀行業に関する最近の研究動向はJournal of Economics and Business(1998) No.50で特集号が組まれている。

[4]インドネシアについては計量分析に十分なデータが収集できなかったため分析していない。インドネシアについては奥田英信(2001)『ASEANの金融システム』(第2刷)東洋経済新報社第6章補論を参照されたい。

[5] 規模経済性と範囲経済性はそれぞれスケールメリットと多角化の利益と関連する。範囲より厳密な意味については第2節で述べる。