2002年10月  

◎ 要旨;90年代の経済政策の概要とその失敗の原因と、そこから得られる教訓を考える。

             九州共立大学経済学部  伏見 一彰

 1. 本論分の目的

90年代の日本の経済失敗の原因は何か(何が間違っていたのか)について考え、今後同じ過ちを犯さない教訓を得るのが、本論分の目的である。

人間の失敗を指摘すること自体は意味がない。人間は神ではないから、間違いを犯す動物である。人間の出来ることは、一度おかした失敗を教訓として、同じ間違いを再びおかさないようにすることである。そのためには、失敗の事例を振り返って失敗の原因を発見する作業が欠かせない。反省のない所に進歩はない。日本には、過去の失敗を眺めることを嫌がる気風があるが、これでは進歩が得られない。失敗を反省する体質、失敗を直ちに修正する自動制御の仕組みを、社会の中に「制度」として組入れなければならない。失敗した後の修正の効かない仕組みが問題である。

 

2. 90年代経済政策の失敗の底に横たわるもの

私は、日本の90年代経済政策の失敗の原因の大元の要素として、次の4点を掲げる。

@ 米国の助言を無批判的に多く取り入れた。

A 自由化、国際化という言葉に無条件に飛び付いた(自由化国際化は絶対善、真理と考え、錦の御旗に掲げた)。

B 多様な意見が出なかった(少数異説を無視した)ため、実行した政策(多数説)が間違っていたとき代替案がなく、修正が出来ないという硬直的な日本体質を形作った。

C 天上天下唯我独尊、或いは、天は自ら助くるものを助く、という人生の根本原理を忘れた。即ち、自分自ら考え、自ら行動するという精神を忘れた。

3. 90年代経済政策失敗の直接の原因

 90年代経済政策の失敗の直接の原因は、

@ 不況の原因の究明を軽視して、政策ばかりを考えた。

A 米国の助言を多く取り入れた。

B 政府が実施する経済政策の代替案が提出されず、機敏な政策変更がなされなかった。

の3点に要約される。

4. 上記「@」について

 90年代不況の原因は日本の構造改革の遅れ、市場の閉鎖性、規制の存在とする有力な見方がある。しかし、過去20年の日本経済の歴史を直視すれば、不況の原因は、ひとえに80年台の巨額の貿易・経常黒字の累積がもたらした投機色の強い経済(バブル景気)とその破裂であることは疑う余地がない。

 経済混乱とも呼ぶべき不況の原因がここにあるとすれば、循環不況や構造改革遅延を原因と考えて採られた90年代経済政策は間違いだったことは明白である。即ち、バブル破裂不況の後遺症は当分の間持続するだろうこと、従来の景気循環型不況政策ではうまく機能しないだろうこと、混乱が収束するまでは、大胆な経済政策・構造改革は採るべきではないこと等の結論が得られる。

5. 上記「A」について

 90年代経済政策の中に、米国の助言・要求の多くが取り入れられたが、結果として経済政策が失敗したという現実は、米国の助言・要求が日本にとって不適だったという結論が導き出される。日本のことは日本自ら考えなければならない、日米関係は利害共通の関係から競合関係に入ったという明白な事実を見なかったという、初歩的な失敗を日本は犯したのである。

6. 上記「B」について

 経済政策の有力な代替案が提出されなかったことの背景に、日本社会の構造上の欠陥を私は感じる。55年体制と呼ばれる自民党支配が90年代も続いたことにもよるが、それだけが理由ではない。

 私は、これまでの論文で、下記問題(イ、ロ、ハ、ニ)について、その間違いを指摘し、疑問を呈してきたが、これに対する反応は鈍かった。

イ) 専門家・学会からも代替案の提供がされなかった理由は、日米貿易摩擦の本質を見落とした失敗がある。貿易摩擦は巨額の貿易収支不均衡が引き起こしたものである。貿易不均衡は自由貿易を論ずる以前の問題として、速やかに是正すべき問題であった。

ロ) 米国の主張する日本貯蓄過剰論はISバランス論を曲解した謬見だったことを論破できなかった失敗がある。米国の双子の赤字論も、ISバランス論を曲解した謬見だったことが、最近の米国財政収支黒字化という現実によって示された。だが、これを指摘した有力な意見がなされなかったという失敗がある。

ハ) 米国の主張の中に、日本物価高指摘がある。米国はこれを日本市場の閉鎖性、規制の存在の証拠だと解釈し、日本物価引下げ政策を推奨し、日本側もこれに同意した。しかし、内外価格差は物価と為替相場の二つの要素の複合であるから、為替相場換算価格比較では、直ちに日本物価高を意味しない。いたずらに日本物価引下げ政策の成果がデフレ経済の出現に力を貸したことは間違いない。この問題を見過ごした失敗がある。

ニ) 為替相場に関する見方は、日本を含め世界中の多数意見は、為替相場は市場が決めるから、人間の経済活動はその為替相場を指針として行動すべきという考えである。しかし、外為市場は適正価格を決定する機能に欠けているという見方が一部にあるが、日本ではこの少数意見には、ほとんど関心が寄せられていない。私は、日本の中長期の重大な問題は経済空洞化であり、これを回避する適切な方法は購買力平価の円相場水準を実現することだと考えるが、この意見には全くといってよいほどに関心が寄せられない。考えの正否はともかく、あり得べき代替案に対する無関心に日本人の狭い視野を感じる。

ホ) およそ、理論は多様な意見の議論の中から構築されるものだが、日本社会には多様性、異説を許容する寛容さに欠けている。多様性を拒否する体質から有力な理論は生まれないし、代替案も提供されない。

7. 日本の重大欠陥は多様性を嫌う体質

 かくして私は、日本が世紀の大失敗(第二次世界大戦の敗北、90年代バブル不況)を犯す根源は、日本社会全体を覆っている「多様性を嫌う寛容性の欠如」ではないかと考える。代替案がないから柔軟・機敏な対応ができない。柔軟・機敏に対処できる社会構造を構築することが、日本の真のなすべき改革であると考える。そのためには、逆説的に聞こえるが、失敗に肝要な社会にならなければならない。初心に帰って、人間は失敗する動物という、素朴な言葉を思い出さなけれがならない。

(以上)