グローバリゼーションと貿易政策

―日本鉄鋼業の対米直接投資と米国貿易政策―

 

川鉄テクノリサーチ(株) 千葉雄二

 

米国は,鉄鋼貿易において繰り返し保護政策を用いてきた。その経済厚生における非合理性や適用の恣意性も繰り返し指摘されている。しかし,保護政策は,本来被保護産業の競争力回復を主要な目的としている。米国が鉄鋼貿易において保護政策を頻繁に用いる背景には,鉄鋼業における産業再生効果とこれを可能とさせる諸条件の存在が推測される。

本報告では,米国鉄鋼貿易政策の本来の目的とも言える米国鉄鋼業の競争力回復,産業再生という視点から保護政策の効果について分析するとともに,長期にわたって繰り返される保護政策の背景について考察する。最後に,これらの考察をもとに最近の鉄鋼業の国際的行動パターンを概観する。

 

1.   1980年代の保護政策とその効果

80年代初め,米国経済の不振が深まるなかで,鉄鋼,自動車などにおいて日米貿易摩擦は深刻な様相を呈していた。米国は,鉄鋼の輸入制限を実施し,また,日本車の輸入を自主規制によって制限するとともに,日本メーカーの現地生産計画に対しローカルコンテンツ達成も要求していた。自動車メーカー各社が対米進出を相次いで決定していくなかで,鉄鋼業も米国において大規模な鉄鋼事業を進めていった。

80年代前半の米国鉄鋼業は,設備の老朽化が進む一方で設備更新は収益低迷によって進まず,日系自動車メーカーが求める鋼板を供給することは困難であった。

日本の鉄鋼メーカーは,自動車の輸出向け生産の米国移転による国内需要減少への対応と日系自動車メーカーへの鋼板供給体制を整えるために,米国において自動車用鋼板設備新設,近代化を進めた。また,合弁事業パートナーの財務支援のために出資も行っている。これらに要した日本鉄鋼メーカーの投融資総額は100億ドルとも言われている。

米国鉄鋼業は,日本の投資によって自動車用鋼板設備の大幅な近代化を達成している。85年から95年までの10年間に限れば,自動車用表面処理鋼板の新設能力530万トンのうち,300万トン,58%が日系メーカーによって建設されている。この投資を契機に,米国における自動車用表面処理鋼板の供給体制が整備されていく。このほか,生産性も80年代前半には停滞が続いたが,2000年には約3倍となっている。品質,生産性に大きな影響を与える連鋳比率も,80年代前半は世界平均以下であったが,90年代後半には日欧とほぼ同水準となっている。米国鉄鋼業は,技術,設備の国際的レベルへのキャッチアップを果たしている。

80年代の鉄鋼輸入制限,自動車の輸入規制,ローカルコンテンツ要求といった保護政策は,日本の投資を呼び込み,自動車産業や鉄鋼業の再生に重要な役割を果たした。産業再生という視点に絞れば,その政策は予想外の成果を上げたと言える。

しかし,日本鉄鋼メーカーにとって対米投資の収益は厳しく,投資資金の相当部分を失っている。鉄鋼メーカーは,そのリスクについては事前に認識していたとみられるが,間接輸出比率の高かった大手メーカーにとって,需要の中核である自動車の本格的な海外移転は,市場への重大な脅威と認識されたと判断できる。

1 鉄鋼メーカーの米国への主な投資

.新日鉄,住金,神鋼(表面処理合弁)の初期投資額は設備建設費総額。NKK,川鉄,神鋼(一貫製鉄所合弁)は,買収,会社設立費用であり,その後の投資は含まない。

資料:米国内の財務報告書,Metal BulletinAmerican Metal Marketなどの公表資料より作成。

 

2.   保護政策継続の背景

80年代前半の米国鉄鋼業は危機的状況にあったが,この危機を脱した後も鉄鋼保護政策は繰り返し実施されてきた。この理由として,鉄鋼産業政策における貿易政策の従属的位置,鉄鋼経営に組み込まれた保護政策,米国鉄鋼市場の特性が挙げられる。

(1)鉄鋼業における貿易政策の位置

米国鉄鋼業では,アンチダンピングに代表される貿易政策と連邦破産法11条の二つの制度が,企業の再生手段,日常的経営手段として重要な役割を果たしている。アンチダンピングなどの保護政策は,景気後退による鋼材需要減少,価格下落局面において輸入抑制によって需給調整を実現し,価格維持・引上げを可能とし,悪化した販売環境を是正する役割を持つ。

連邦破産法11条は,債務の圧縮,切り捨てなど企業の財務面の再生を担っている。19972002年までの間に33社,粗鋼生産能力にして4,494万トン,米国鉄鋼業の生産量の50%近くを占める鉄鋼メーカーが連邦破産法11条の適用下に入っている。同法のもとで各種債務整理,労働協約改訂を行い身軽になった企業には,多くの内外の投資会社,鉄鋼メーカーから新規投資,買収案が提示されている。

企業寄りのこうした制度からは,産業政策として企業存続が非常に重視されていることが窺われる。鉄鋼貿易における保護政策は,このような政策を実現するための一手段として位置付けられる。保護政策メリットとして雇用確保が一般によく取り上げられるが,現実には企業存続のために,解雇,雇用条件切下げ,企業年金切捨てが頻繁に行われている。

(2)米国の鉄鋼需給構造

米国の世界最大の鋼材輸入市場としての存在,いわば事業機会の提供者としての立場が,度重なる保護政策を輸出国に受け入れさせてきた第一の要因となっている。

第二の要因として,米国内の鉄鋼需給調整において輸入鋼材が果たしている特異な役割がある。米国の鉄鋼需要は国内メーカーの生産能力を大幅に上回っている。鉄鋼需要は景気によって当然変動するが,米国内生産は,2001年を除き最近10年間,これにほとんど影響されること無く漸増傾向を維持してきた。また,カナダ,メキシコからの鋼材輸入も変動が無い。米国の鋼材需要変動は,NAFTA諸国以外の輸入によって調整されている。保護政策は,国内生産を最大化し,需要変動に対する供給調整を輸入によってコントロールするために活用されている。

 

3.   保護政策と企業の国際展開

20023月に実施された米国のセーフガード措置に対して,EU,中国などの大量の鋼材輸入国は自らの市場秩序を維持するために,素早くセーフガード措置を取った。米国,EU,中国は世界の鉄鋼需要の60%を占めるが,鉄鋼業の輸出依存率が低いため,輸入急増が予想される場合は輸入制限を行う可能性は高い。米国の鉄鋼保護政策指向は強固であり,今後も米国の保護政策を発端にしてEU,中国が鉄鋼輸入制限に向かう可能性は高い。鉄鋼輸出市場は,狭まっていくおそれがある。

一方自動車を代表とする鋼材需要産業は,北米,EU,中国といった大規模市場では当面の生産効率を犠牲にしても市場立地による供給を進め,資材調達では国際的事業ネットワークを生かし世界的な資材価格圧縮と価格同一化を図っている。こうした国際展開を進める自動車メーカーに対し,各国の鉄鋼メーカーは価格形成力において劣勢に立たされることも少なくない。産業,企業の国際化に伴い,産業間では協力を進めながらも利益争奪は激化しつつある。

米国,EU,中国での鉄鋼保護政策指向と自動車産業の国際展開と資材コスト削減圧力に対し,世界の鉄鋼メーカーは合併による国,地域内での市場支配力を高めるとともに,さらに国,地域を超えて提携・協力による国際的企業連合形成を進めつつある。

 

参考文献

公正貿易センター編『米国改正アンチダンピング法(1994年法)』公正貿易センター,19956月。

渡邊光誠『アメリカ倒産法の実務』商亊法務研究会,1997年。

 

なお,鉄鋼メーカーの対米投資の背景,投資収益性等については「鉄鋼業の企業文化と意思決定」,敬愛大学学術叢書第5巻(20033月刊行予定)に詳述。