2002年国際経済学会(東北大学)報告要旨

「地域経済統合,直接投資,国際貿易:日系自動車企業の対英直接投資を題材にして」

静岡大学人文学部助教授 安藤研一

戦後世界経済には,GATT/WTOによる貿易自由化と並行して,特定の国々との貿易のみを自由化する地域経済統合の動きがあり,この傾向は1990年代以降更に顕著になっている.しかも,地域経済統合は域内貿易を自由化・活発化するのみならず,域外からの直接投資も引きつける一つの重要な要因となっている.更に,直接投資の担い手である多国籍企業は,地域経済統合の利点を最大限活用するための事業展開を図ってきている.それ故,これら三者の相互関係について分析を進めることは,国際経済学の今日的な課題と言えよう.そこで本報告は,地域経済統合が最も先行して進んでいるEUに対する日系自動車企業の直接投資を題材にして,地域経済統合,直接投資,国際貿易の相互関連について分析していく.

EUの下での地域経済統合は,「深化」と「拡大」を進めてきているが,両者は自動車産業に大きな影響を与えるものである.1960年代の関税同盟は,大陸原加盟6ヶ国における自動車産業の競争の激化と再編成をもたらした.例えば,狭小な国内市場にもかかわらず,ベルギーはフォードやGMの工場設立を可能にした.イギリスのEU加盟(1973年)は,多国籍企業の工場再編成を促し,スペインのEU加盟(1986年)は,周辺低賃金国への工場拡散をもたらした.他方,自動車産業自身もEU統合の趨勢を左右してきた.その典型的な例が,加盟国ごとに対応していた対日自動車輸入に対する保護主義的措置をEUレベルで統一化したものである.更に,日系企業の対EU直接投資への対応として,ローカル・コンテンツを工場出荷価格の80%以上とするように設定してきた.つまり,自動車産業はEUで定められた地域経済統合の方針に受動的に対応するだけでなく,能動的にそのあり方にも関わってきているのである.

EUの地域経済統合が自動車産業に大きく関わりながら進展してくるのと並行して,イギリスの自動車産業は独自のダイナミズムを見せてきている.イギリスの自動車産業関連の生産・対外貿易の推移は,このことを如実に表している.即ち,1970年代初頭にピークにあったイギリスの自動車生産・輸出台数(各々190万台,74万台)は,1980年代半ばまでに半分以下にまで落ち込んだ(90万台,20万台).そのため,イギリスの自動車輸入も急増し,1970年時点で16万台弱であったものが,1979年には100万台を越えるまでの水準に達することとなる.しかし,イギリスの自動車生産・輸出台数は,1980年代半ば以降に復活の兆しを見せ,1990年代末には,かってのピークに迫る,若しくは,それ以上の数字を示すまでになった(180万台,110万台).但しこの間に,イギリスの自動車輸入も引き続き増加傾向を示し,1990年代後半には国内新車販売のうち70%以上を輸入車が占めるようになっている.そして,輸入車の急増を背景にイギリスの自動車貿易収支もまた1973年以降一貫して赤字を計上し続けている.つまり,イギリス自動車産業は,EUの水平分業構造に組み込まれながらも,1980年代後半以降その生産と輸出の回復に一定程度成功してきていると言える.

1970年代以降の30年間において,生産と輸出の衰退と回復を経験してきたイギリスの自動車産業ではあるが,同時に自動車部品貿易の動態において興味深い様相を呈している.即ち,完成車生産・輸出の下落傾向が続いた1970年代から1980年代前半においては,部品部門は一貫して対外貿易黒字を計上していたのに対して,前者が復興してくる1980年代後半以降は逆に対外貿易が赤字化してくるのである.自動車産業が,規模の経済性を享受する産業であり,部品産業のような関連・支援産業と密接な関係にあることを考えるなら,完成車生産・輸出の改善は部品産業にも好影響を及ぼすはずであろうが,少なくとも,貿易収支レベルで眺めるならば,そうはなっていないことが確認できるのである.

EUの統合が自動車産業に大きな影響を及ぼしながら発展し,部品部門を含むイギリス自動車産業はイギリスのEU加盟以降大きな紆余曲折を経てきているという文脈において,日本からの対英直接投資が1980年代半ばから進展してきている.1986年に日産が完成車のノック・ダウン生産を開始し,その後フル・ライン生産へ移行したのを始まりに,ホンダ,トヨタは1992年からイギリスでの乗用車生産を開始している.そして,日本車の生産・輸出は1999年を除き,一貫して順調に増加し続け,最新のデータ−である2000年の生産台数は,イギリス全体の35%に,輸出においては40%を超える水準にまで達しているのである.その意味で,イギリス自動車産業の生産・輸出の回復において,日系企業の対英直接投資が大きく寄与してきたと言える.

1970年代から1980年代前半までに傾向的に衰退してきたイギリス自動車産業は,日系企業の直接投資もあって1990年代にはかっての水準にまで生産と輸出を回復してきたが,それはまた部品貿易の赤字化を伴うものであった.このようなダイナミズムは,二つの問題を提起するものである.第一の問題は,イギリス自動車産業の衰退が示すように,必ずしもイギリスは自動車生産にとって最適な立地場所でなかったが,何故日系企業はイギリスを選択し,かつ,成功を収めることができたのか,という問題である.これは,イギリスへの投資前に行った日系企業のスペイン,イタリアへの直接投資が失敗したという事実に照らして考えるなら,尚更重要である.何故なら,これらの失敗は日系企業の技術力は必ずしも直接投資の成功を保証するものではないことを示しているからである.第二の問題は,自動車組立部門が低迷する中で対外的な黒字を計上してきた部品部門が,前者の復興とともに貿易赤字化していった,という逆説的な状況もまた我々が考察すべき問題である.ジャスト・イン・タイム(JIT)に代表される生産管理が導入され,自動車生産の拡大が規模の経済をもたらす可能性をもち,日系企業に対して80%のローカル・コンテントが適用されてきたことは,一見するとイギリスの部品産業にとって好条件を提供するように思われるが,対外貿易に示された状況は,必ずしもそうなっていなかったからである.これら二つの疑問に,更に答えていく事が必要である.

第一の問題,即ち,日系自動車企業の対英直接投資の成功は,ダニングの折衷パラダイムによって説明される.まず,日系企業は所謂「リーン生産方式」という「競争上の優位性」を有していたことが指摘されうる.しかし,ここで問題となるのはそのような優位性をスムーズにイギリスに移転することができた条件を更に確定することであるが,それは主に二つの要因に帰することができる.一つは,日系企業がイギリスへの直接投資方法として新規投資を採用し,当時のイギリス自動車産業が直面していた労使関係の諸問題を回避しながら独自の労使関係を工場組織内部に構築するという「内部化の優位性」を獲得できたことである.もう一方は,イギリス自動車産業が衰退傾向にあったことから在英自動車企業での経験を有する管理職を比較的容易に雇用することができたという「立地上の優位性」をイギリスが提供した,ということである.これら三つの「優位性」によって日系自動車企業の対英直接投資の成功が説明されうるのである.

第二の問題,即ち,完成車生産の回復とともにイギリス部品貿易が赤字化していったことは,日系企業を含む在英自動車企業の部品調達政策によって説明されうる.即ち,在英自動車企業はEU,乃至は,欧州レベルで部品調達の合理化をますます追求するようになってきており,その結果として自動車部品の輸出を上回る輸入の伸びがもたらされ,結果として自動車部品の対外貿易収支が赤字化してきたのである.より具体的にこの点を見ていこう.まず,日本に比べて地価が安価であるイギリスでは部品在庫の保管場所が大きなコスト負担とはならず,また,日系企業はそのロットの小ささ故に,日本での様な供給方法を部品供給企業に強いることはできず,よってJIT部品調達に期待されたような部品産業の集積が促されなかった.第二に,日系工場に課せられたローカル・コンテンツ80%という基準は,イギリスではなく,EUを基盤とするものであるため,必ずしも在英部品企業からの調達を促すものとはならなかった.第三に,1992年にイギリスがERMから離脱し,ユーロへの参加に関しても不確実な状況で生じるポンドの対マルク/ユーロ相場の不安定性への対応から,在英工場は大陸からの部品調達によりシフトしていったのである.第四に,イギリスに投資した日系企業も当初はイギリス国内での部品調達比率が高かったものの,欧州における経験の積み重ねの中から,イギリス国外により優秀な調達先を見出すようになり,大陸シフトを促した.第五に,英系部品企業自身が大陸向け直接投資を活発化させ,自ら汎欧州化することを通じて部品の逆輸入を進めるようになった.第六に,在英工場の生産・輸出が再興してきたことは,工場内における生産性の向上と同時に,部品調達の効率化を図る必要があったが,在英部品企業の中には,完成車企業の要請に必ずしも応えられなかったものもあった.最後に,イギリスの中央・地方政府は日系自動車企業を中心に対英直接投資の誘致には積極的であったが,それを支える部品産業の競争力の維持,改善には必ずしも同等の労力を振り向けてこなかったという政策対応の不整合性があった.上記の諸要因が密接に絡まり,作用しあった結果として,完成車生産・輸出の改善下において部品貿易収支の赤字化が生じたのである.