東欧のEU加盟とEUの東方拡大

田中宏(立命館大学経済学部)

はじめに

東欧諸国のEU加盟とEUの東方拡大、この2つの課題は一般的にはほとんど同義に語られているが、必ずしも同一ではない。東欧にとってEU加盟は東欧の体制転換と市場移行および東欧の世界経済への再統合化の側面と深くかかわっている。これに対して、EUの東方拡大はEU本体の統合推進のモメンタムを失わず、いかに深化させるのかという将来の課題と有機的に結びついている。我が国ではEUの東方拡大の研究は蓄積されつつあるが、東欧のEU加盟の研究は手薄なままである。これらの点を念頭に置きつつも、東欧諸国のEU加盟の意思決定権はEU側にあることを考慮すると、東欧のEU加盟は以下のような問題群をもっているだろう。

(1)  実質的な実体経済の観点から統合プロセスがいかに進行しているのか。人、モノ、マネー、サービスの点で東欧諸国はEU経済あるいは加盟国経済にどのような形で、どの程度統合され、どのような相互依存関係が形成されているのか。その質的変化も含めた解明が求められる。

(2)  EUは一貫して東方拡大に消極的であったと見なされる。これまでの4次にわたる拡大で最長期間を費やした英国の加盟交渉期間を超えていることにそれは象徴される。それは、EUは東欧諸国を吸収する準備と能力があるのか、と表現できるだろう。この点では、@新規加盟国は、過去の拡大と異なって、所得格差が極端にひらいていること、A新規加盟国からの輸出が既存加盟国の利害対立を引き起こすこと(CAP改革による資金移転問題、農業部門での特化)、B大規模な資金移転が予想されること、CEUの機構改革の遅れ、内部の意思決定プロセスの変更、各国の主権制限に対する拒否反応、Dヨーロッパ協定では先延ばしにされていた東西間の労働力移動の開始、Eユーロバロメーター調査に現れている構成国の世論の動向(ドイツ、オーストリア等の労働力移行自由化への拒否反応、フランス移民拒否の世論)等、が指摘されている。

(3)  加盟申請諸国はEU加盟にふさわしい成熟度を達成しているかどうか。この成熟度をどのように評価するのかで、以下のような諸争点が明らかである。@コペンハーゲンの加盟3基準を加盟候補国が満たすことについて、そもそもその3基準が大まかすぎて、主観的判断が多大に影響している。どのようにしてクリアしてきたのか、クリアできない問題はいかなる形で処理されているのか、が問われる。そのプロセス自体も研究される必要がある。Aコペンハーゲン3基準の条件以上の条件、例えば、マーストリヒト収斂基準を東欧諸国がいかなる程度で満たしているのか、それが加盟条件といかなる関係にあるのか、が問題提起される。BAと関連して、EU加盟以降、いかなる為替制度を新規加盟国は採用するのか、も重要な問題となってきている。

(4)  EU側にとっての東方拡大の費用便益分析と東欧側にとってのEU加盟の費用便益分析を行い、実質的な経済的効果を測定することも必要である。

 

T.ベルリン89からコペンハーゲン2002へ

1989年「ベルリンの壁」崩壊から、東欧諸国の加盟が正式決定されるはずの2002年12月コペンハーゲン・サミットまでの過程を箇条書きで総括しよう。

(1)  米国の対体制転換東欧戦略は、@モスクワ・コメコンの解体およびAモスクワとベルリンの間にネオ・リベラルな親米国家(特にポーランド)を創設してECの貿易レジーム(CAPを含む)に風穴をあけること、B発展指向型ではない、IMF主導の「景気後退」型の体制転換政策を押しつけ、公的援助の小規模化を計り、米国資本の進出を保障することであった。EC/EUはAを拒否したほかは、米国のこの戦略を受け入れ、そして東欧の体制転換と市場移行を支援・支持することを政治的に表明しながら、EU加盟に関してはアドホックで戦略なき対応に終始した。

(2)  90年代を通じて東欧10ヶ国と締結された欧州協定は、第1に他の連合協定に比べてメリットが少なく、資金援助、農産物貿易の自由化、人の移動の自由化が慎重に回避され、第2に東欧諸国の欧州回帰の願いを十分に叶えなかった。

(3)  1993年6月のコペンハーゲン・サミットの決定は、2)を克服する前進面をもったが、第1に、まだ連合協定を締結していない国さえもが加盟対象国となる東方大拡大方針(ビッグ・バン方式)を設定した。第2に、加盟のために達成すべき3基準(政治的基準、経済的基準、加盟国の義務の遂行能力基準)そのものは曖昧で、東欧諸国にEU加盟の確信、そのための改革努力への的確なインセンティブを十分提供できなかった。

(4)  加盟プロセスは、コペンハーゲン3基準に追加的基準を加味するかどうか、について公式・非公式の確執が続き、期待された加盟時期が幾度も繰り延べになった。

(5)  加盟をめぐる状況が根本的に変化したのは欧州委員会の「アジェンダ2000」の発表からである。この報告書では@アキ・コミュノテールの本格的導入の開始、A5ヶ国という限定された拡大(「到達度による差別化の原理」)方針、Bミニマムな財政・資源動員による拡大路線が提起された。

(6)  1999年12月に開催されたヘルシンキ・サミットでは限定された拡大方針が修正され、2001年12月のラーケン・サミットでは、ミニマムな財政・資源動員による拡大路線を維持したまま「ビッグ・バン」方式への復帰がなされた。

(7)  現在の予定では、2002年10月にEU委員会が加盟適格国を指名し、最終的な交渉を10月末に行い、同年12月のコペンハーゲン・サミットが第一陣の加盟国を決定することになっている。今年6月のセビリア・サミットは来年3月の正式調印の予定を決定した。

 

U. 加盟交渉の最終段階の問題点

コペンハーゲン3基準の到達段階にかんしては、政治的基準はすべての候補国が満たしているが、経済的基準(特にEU内部の競争圧力への対応能力)については判断が国別に異なる。その移行諸経済を実体的に観察すると、東欧諸国の間にむしろ分岐、多様化が観察される。第3の基準であるEUのアキ・コミュノテールを各国の法体系に移し替える問題では、それを効率的に実行できる行政構造・能力の育成が注目されている。本年6月の時点では、その31項目のうち、ルーマニアを除いてすべての候補国がすべての項目について交渉を開始しており、その内、平均して24項目については交渉を終了している。その終了したなかで、平均して7−8項目については移行措置がとられている。すべての候補国と農業条項、金融財政条項(および第31番目のその他の条項)についてはまだ交渉が終了していない。原則としてderogationは認められていない。今年前半期の交渉における最後の対立点は、新規加盟国の農民がいつからCAPからの補助金を受けとることができるのか、をめぐってである。

 

V.実体的な統合プロセスの進展をどのように把握するのか

 東欧諸国は、貿易と資本という点からすれば、複線的にEU経済圏に統合されつつある。対東欧向け直接投資は、市場確保段階から新しい段階に移行しつつある。労働力の国際移動という観点からは、統合は進んでいない。このようなEU(特にドイツ経済)との統合の進展についての理解にかんして、ハンガリーでは、@従属論、A非対称的相互依存関係論、B二重リンケージ論が登場している。

 

W.EU加盟論と市場移行論

加盟候補国の市場経済移行はこの10余年間目覚ましい進展があった。それとEU加盟とは相互関係にある。EU加盟には市場経済化が不可欠な前提条件となるが、反対にEU加盟交渉の進展は、市場経済化の強力な推進力となり、改革の信頼度を高める役割を担っている。その点で相乗効果が注目される。

 

X.東欧諸国のEU加盟成熟論を検討する

加盟交渉の最終局面は加盟成熟論を提起している。2000年12月のニースサミットはマクロ経済・金融安定化の経済政策対話にECOFIN(経済相・蔵相理事会)が参加することも決定した。これにより持続可能な経済的収斂化の促進と将来の経済通貨同盟協力の準備が最終の交渉局面に登場した。一方では、この課題は東欧諸国からみるとEU加盟の追加的条件を課すことになると批判され、他方では、加盟後ユーロ早期導入論も改革先進国の中から生まれてきている。ECB月例報告書は加盟後も長期間所得格差が実質的に収斂しないことを予測する。為替政策とインフレ政策がトレードオフ関係にあるなかで、いかなる為替制度を採用するのかを巡り議論されている。だが、候補国にとって残された課題は構造改革の加速化以外にはないだろう。