アルゼンチン金融危機の構図 

        〜生かされなかったアジア危機の教訓〜

                           東洋学園大学  鎌田信男

 はじめに   

 経済危機と外貨不足の中、200112月に、アルゼンチン政府は、支払のための外貨不足から1320億ドルにのぼる公的債務の一時支払停止を宣言。これによりアルゼンチン金融危機が表面化した。その後、固定相場制度の放棄とアルゼンチン・ペソの大幅下落、、国内からの外資流出、インフレの再燃、生産活動の縮小などが連鎖的に発生、危機の色合いを濃くしている。

 

1.アルゼンチン通貨危機発生のメカニズム

 アルゼンチンの90年代の国際収支をみると、大幅な資本収支の黒字で特徴付けられる。91年から97年の資本収支黒字額は、年平均で104億ドル(GDP4.2%)。98年には、通貨危機で資本流入が停止状態だったアジアとは対照的に、過去最高の190億ドルの資本収支黒字(同比6.4%)を記録する。90年代に入っての急激な資本流入の背景として、@急速に悪化し始めた経常収支赤字補填のための外貨需要、A資本移動に対する金融市場開放措置、Bカレンシーボード制導入による為替相場の安定化、C国内経済の順調な拡大、D政府、民間企業による海外証券市場での資金調達意欲の強まり、などの点が指摘される。 

 しかし、90年代に入り年々増加していた外国資金の流入額は、98年にピークを打ち、99年以降縮小に転じる。2000年の資本収支黒字額は、経常収支赤字額を補填しきれない82億ドル(1998年の黒字額の半分以下)にとどまる。さらに、2001年の同収支は赤字となる。直接投資による資金受け入れ額は、99年(226億ドル)、2000年(106億ドル)に、高水準を維持していたものの、それまで資本収支黒字額のうち太宗を占めていた証券投資収支の黒字が、99年以降、大幅赤字に転じてしまったのだ。アルゼンチンへの不安が投資家側に強まったことが、資本移動の流れを変えた。

 98年まで順調な成長を続けていた経済が、99年以降急速に冷え込みはじめたことや、継続的な国外からの資金流入により、対外債務残高が巨額な水準に達してしまったことなどが、海外投資家に、アルゼンチンに対する不安を強めさせ、資金流入を止めてしまう結果をもたらした。

 前述の通り、2000年の資本流入額は、経常収支の赤字補填に必要な額を下回り、総合収支はマイナスになる。さらに、2001年(上半期)には経常収支、資本収支ともに赤字となる。金融危機は一旦表面化すると連鎖的な資本流出をもたらし、外貨準備も底をつく。一方で、対外債務の支払期限は容赦なく迫る。こうして、2001年末に、国際金融市場において、アルゼンチンの金融危機が顕在化するに至った。90年代の経常収支赤字拡大と同赤字補填額を大きく上回る外資流入」⇒「経済低迷と対外バランスの不均衡拡大に対する投資家の不安拡大」⇒「資本流出」⇒「外貨払底」⇒「金融・経済の混乱」という危機発生メカニズムが働いたのである。

 

 

 


 (表)アルゼンチンの国際収支の推移

 

 


 2.アジア通貨危機の経験 

 注意すべき点は、今回発生したアルゼンチン通貨危機の発生メカニズムが、基本的にアジア通貨危機のそれと同じパターンであった点である。アジア通貨危機は、1997年7月にタイ・バーツが海外の国際機関投資家の投機売り圧力に晒され、これが東アジアの金融市場一帯に拡散されることで発生した。公的債務の一時支払停止発表がきっかけとなったアルゼンチンのケースとは、やや異なる点はあるが、「経常収支の赤字拡大」と「経常収支赤字を大きく上回る資金流入」⇒「対外バランスの不均衡拡大に対する投資家の不安」⇒「投機売り」⇒「資本流出」⇒「金融・経済の混乱」とうい連鎖を辿ったアジア通貨危機の発生メカニズムと、基本的に大きく変ってはいない。

 

3.何故、アジア通貨危機の経験は生かされなかったか 

 なぜアジア通貨危機発生の教訓がいかされず、再び、同じパターンの危機が繰返されてしまったのだろうか。

 この答えとして、@成長政策に固執するあまりアルゼンチン政策当局が、外資への過剰依存のリスクを過少評価した点、AIMFなど国際機関や、アメリカの強い意向が介在した点、が指摘される。

 @アルゼンチンは、中南米の中でも、最も早くから資本移動の自由化に着手してきた。58年に外資法を制定、外国資本が原則国内資本と同等に扱われることを規定した。そして、89年に、資本移動の完全自由化を実施した。アルゼンチンでは、80年代のフォークランド紛争、債務危機で、大量の国内資本が国外に逃避した。さらに、長く続いた高インフレ体質と金融システムの未成熟から、市民が預金よりも実物投資(土地、金など)を選好する傾向があることから、国内貯蓄は投資に対し慢性的に不足状態だった。海外からの資金調達は不可欠であり、自由に海外から資金が流れ込む制度に対し国内に異論は見られなかったのだ。

 Aさらに、途上国の金融市場自由化を推進してきたIMFやアメリカの影響力が指摘される。IMFは、従来から一貫して途上国に対して、規制緩和、民営化、経済と金融の対外開放を迫ってきた。82年8月のメキシコ債務危機での支援においては、メキシコ政府に対して、経済と金融の対外開放を強く迫った。それ以降も、IMFは多くの途上国に対し資本移動自由化を迫っている。例えば、アジア通貨危機直後、資金救済を実施するにあたり、韓国に対しては、外国金融機関の子会社設立認可を含む資本規制自由化を、またタイに対しては、金融機関の外資出資比率を50%に緩和させるなどの自由化措置を、IMF資金救済プログラムに盛り込んだ。アジア通貨危機直後の97年9月に、香港で開催されたIMF年次総会では、IMF暫定委員会が、IMF協定を改定し「国際資本移動の自由化をIMFの目的の一つにする」ことを、IMF理事会側に要請している。IMFの資本自由化への強い意向は、アルゼンチンの外資への姿勢にも大きな影響を与える結果となる。

 また、中南米の盟主国、アメリカも世界的レベルでの資本市場の開放を主張してきた。巨額の投資資金と国際分散投資で豊富な経験を持つ米国金融機関にとって、途上国が国外に向け市場開放を進めることは、アメリカにとって投資機会獲得や金融サービス分野での海外市場の拡大につながる。拡大する経常収支赤字問題を抱えるアメリカにとって、途上国の金融市場開放推進は、不可欠なのである。

 途上国自身と、途上国をとりまく先進諸国、さらに国際金融機関が、アジア通貨危機が示唆した教訓を認知せず、安易な金融市場開放が含むリスクを理解しなければ、途上国通貨危機が、どこかで再発する可能性を残すことになる。途上国も、先進諸国も、国際金融当事者全てが、途上国の安易な金融市場開放策を見直していくことは、危機再発の抑制に向け不可避であると考えられる。