インド鉄鋼業――国家主導輸入代替工業化の遺産とグローバル競争

     

                    石上  悦朗(福岡大学)ishigami@fukuoka-u.ac.jp 

 本報告の構成

1 経済自由化政策と政府・公企業部門

2 グローバル競争の激化と瀬戸際の国営鉄鋼業

(1)                  インド鉄鋼業発展の特徴と概況

(2)                  鉄鋼業の「計画」「管理」および技術導入問題

3 鉄鋼業よりみた産業政策と政府部門のインド的特質

 

 以下、本報告の課題と問題意識および主要な論点を要約的に述べる。なお、鉄鋼業の概況に関する若干のデータを後半部に示した。

 「ネルー社会主義」、国家主導重工業化の中核を形成したインド(国営)鉄鋼業は、1990年代半ば以降、国内工業の低迷、関税率の大幅引き下げと旧ソ連圏などからの低廉な海外輸入品の急増、アジア経済危機や米国の反ダンピング提訴などによる輸出市場の縮小および国内「ミニミル」の生産能力急増などにより、経営状況が急速に悪化している(表5)。インド鉄鋼業は1980年代にすでに「ハイコスト」構造に陥っていたが、経済自由化以前は、高率の関税と管理価格制度で保護されていたため、国内販売を主とする限り一定の操業度を確保すれば黒字経営を維持することができた。しかし、経済自由化措置と鉄鋼業におけるグローバル競争の激化*は、国際競争力を持たない「ハイコスト」企業が直面しなければならない冷酷な現実である。インドは確かに世界10大鉄鋼国には違いないが、生産効率や先端技術の導入という点では大きく立ち遅れている(表1〜4)。また、私企業のTISCO(ターター鉄鋼会社)と国営鉄鋼各社の業績は実に好対照を見せる。

*以下の文献が参考になる。D’Costa, A. P., The Global Restructuring of the Steel Industry, Routledge, London, 1999;川端望「成熟・キャッチアップ・制度的調整――鉄鋼業のグローバル競争」大阪市立大学経済研究所、森澤・植田編『グローバル競争とローカライゼーション』東京大学出版会、2000年所収。

 1991年以降の経済改革・経済自由化政策は、国内外の私企業の経済活動を大きく拡大することに貢献した。しかし、政府・公企業が支配的な地位を占める産業(インフラストラクチャー・エネルギーおよび金融・保険部門)の現状維持と公企業の行政的支配・管理に目立った変更はない。このことはインドの構造調整政策受容のあり方として、他の途上国と比較して特筆すべきことであろう。したがって、国営鉄鋼業に対する政府の介入的姿勢は、自由化政策導入後も変わることはなかった。このような政府・政治家等の国営鉄鋼業に対する介入については、D’Costaが他の途上国鉄鋼業と比較しつつ的確に指摘している。SAIL(インド鉄鋼公社)は80年代に、西欧社会民主主義の下でつくられたいくつかの大規模な持株会社の構想を模して設立されたが、経営自由裁量件の拡大は、結局のところ実現しなかった。

 本報告は、鉄鋼業に「ハイコスト」構造をもたらしている主たる原因を、建設プロジェクトの策定から実施に至る過程で生じた大幅な遅延と建設費オーバーランによる建設費・利子負担増、そしてこれらとつよく関連した先端技術からの後退に求めるという立場から分析する。換言すれば、政府の「計画」の不首尾と企業側における「管理」能力の未成熟に関して、いくつかの例解を示しながら検討を加える。

 1990年代に竣工した最新の国営製鉄所(RINL社のヴァイザーグ製鉄所)がその典型的な事例となる。アーンドラ・プラデーシュ州のヴィシャカパトナムに海岸立地するこの製鉄所は、1971年に企業化調査が終了したにもかかわらず、詳細建設計画書が77年、建設開始1980年代半ば、そして300万トン拡張完了が1990年代半ばという具合に、計画と工事遅延の典型例であった。そのため、「インド最新の新設製鉄所は世界で最も割高な工場の一つである。条鋼類を製品構成とした選択は問題であり、これには代替的技術が利用可能である」との評価を受けねばならなかった(D’Costa 1999)。

 技術選択・導入に関して言えば、インド国営鉄鋼業は先進国からの技術導入だけでなく、今日まで旧ソ連の鉄鋼技術に大きく依存してきたという特徴をもつ。また、一貫製鉄所に関わる製鉄所建設・プラント・技術開発などもすべて公企業を新設してこれらに担当させようとしてきた。

 先に触れたように、近年の経営業績は民営と国営で明暗がはっきりと二分されている。本報告では、以上述べた論点について、ターター鉄鋼会社やインド以外の途上国の経験を比較検討しながら分析を行なう。なお、インドの産業政策、公企業・公企業改革および政府と企業に関する私の最近の論考*を参照していただければ幸いである。

            「インド経済自由化と中央・州政府公企業」『アジア経済』第41巻第1011号、2000 年11月、   

  131-171頁;「政府と企業の政治経済学――産業政策と公企業を中心にして」絵所秀紀編『講座現代 

  南アジア第2巻 経済自由化のゆくえ』第7章、東京大学出版会、20029月刊行予定)。

 

表1 インドと主要途上国の鉄鋼生産高推移(万トン)

 

 

 

 

 

 

1950

1955

1960

1965

1970

1975

1980

1985

1990

1995

2000

インド

146

173

334

643

623

799

951

1154

1496

2200

2692

中国

60

285

1100

1350

1780

2600

3712

4670

6635

9536

12724

韓国

 

1

 

19

48

253

856

1354

2313

3677

4311

ブラジル

 

116

226

302

539

831

1534

2046

2057

2508

2787

(参考)日本

484

941

2214

4116

9332

10231

11140

10528

11034

10164

10644

(参考)世界計

18930

27040

34150

46100

59850

64700

71630

71700

77000

75100

84800

出所)鉄鋼統計委員会『鉄鋼統計要覧』各年版より作成。

 

表2 鉄鋼業の近代技術伝播の比較:酸素転炉(a)(上段)と連続鋳造(下段)の比率(%)

 

 

1960

1965

1970

1975

1980

1985

1990

1995

2000

アメリカ

3.7

19.4

55.8

74.3

83.9

89.0

94.3

100.0

100

 

 

 

3.7

9.1

20.3

44.4

67.1

91.0

96.4

日本

14.9

69.0

95.0

98.7

100.0

100.0

100.0

100.0

100

 

 

 

5.6

31.1

59.5

91.1

93.9

95.8

97.3

ブラジル

13.3

30.9

45.9

58.3

87.7

95.2

97.1

 100.0(b)

100

 

 

 

0.8

5.7

33.4

43.7

58.5

71.6

90.2

インド

    ―

  11.1(c)

11.4

18.8

30.5

44.6

57.0

66.1

 *67.3

 

 

 

 

 

 

 

 

21.7

50.9

韓国

   ―

   ―

 ―

93.5(d)

98.4

100.0

100.0

100.0

100

 

 

 

 

19.7

32.4

63.3

96.1

98.2

98.6

(原注) a 非電炉製鋼に占める転炉のシェア。 b 転炉のシェアはほぼ100%、連続鋳造の数字は1996年。 

    c 1968年の数字。  d 韓国における一貫生産は1973年に開始。

 

 

 

 

(出所)1960〜95年:D'Costa(1999),p. 111, Table 5.5、2000年:『鉄鋼統計要覧 2001』。

 

 

   *のみSAIL, Statistics for Iron & Steel Industry in India 2000,

 

 

 

 

 

表3 インド鉄鋼業:主要生産者と粗鋼生産・製法(1999-2000)

 

 

 

工場数(稼動中)

粗鋼生産(万トン)

 

 

 

 

一貫製鉄所(年産20万トン超)

 

       粗鋼製法(%)

 

 国営*

 

 

 

   平炉

   転炉

 

 

  SAIL(インド鉄鋼公社)

4

999

22.5

77.6

 

 

 

  IISCO(SAIL子会社)

1

29

100

0

 

 

 

  RINL(ヴァイザーグ製鉄所)

1

258

0

100

 

 

 

 民営

 

 

 

 

 

 

 

 

  TISCO(ターター鉄鋼会社)

1

343

0

100

 

 

 

   小 計

 

 

1629

 

 

 

 

 

非一貫製鉄所

 

 

 

 

 

 

 

 

 電炉企業

 

45

532

 

 

 

 

 

 還元鉄企業

 

661

405

 

 

 

 

 

    小 計

 

 

937

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   平炉

  転炉

  電炉

  還元鉄

 

合計

 

 

2566

9.8

53.3

21.5

14.4

 

注) *国営製鉄所には、この他、小規模なASP社(合金鋼)、VISL社がある。SAILの生産高には2社分(20万トン)を含む。

 

出所)SAIL, Statistics for Iron & Steel Industry in India 2000, New Delhi, 2000, p.20-21, p.171から作成。

 

 

表4  鉄鋼業における雇用者数と生産性:インド、ブラジル、韓国

 

 

 

1988-89

1994-95

 

 

 

雇用者数

雇用者数

生産量(百万トン)

1人当り生産量(トン/年)

インド

 

 

 

 

 国営5製鉄所(ヴァイザーグを除く)

219,997

183,459

      9.8

 53

 ヴァイザーグ製鉄所

     ―

16,656(a)

3

200

 ターター鉄鋼会社(TISCO)

41,422

44,736

 2.5

 57

ブラジル

167,414

(1989)

77,547

(1996)

      17

218

韓国(b)

62,128

72,099

(1993)

      30

420

     浦項綜合製鉄(POSCO)

22,621

(1989)

20,397

(1995)

      20

835

(注)生産量と一人当り生産量は年次が異なる場合がある。

 

 

 

(原注)

 

 

 

 

  a オペレーション、居住関係および自社鉱山部門を含む。b 鉄鋼業

 

 

(資料)Korea Iron and Steel Association; POSCO; Steel Authority of India Ltd.;

 

 

      Institute Brasileiro de Siderurgia, various years.

 

 

 

(出所)D'Costa(1999)Table 5.4、pp.102-104より作成。

 

 

 

 

 

表5 銑鋼一貫鉄鋼会社の最近の収益状況(純益、億ルピー)

 

 

1995/96

1996/97

1997/98

1998/99

1999/00

 

 国営*

 

 

 

 

 

 

  SAIL(インド鉄鋼公社)

131

52

13

-157

-172

 

  IISCO(SAIL子会社)

-5

-21

-40

-36

-21

 

  RINL(ヴァイザーグ製鉄所)

-20

-45

-18

-46

-56

 

 民営

 

 

 

 

 

 

  TISCO(ターター鉄鋼会社)

57

47

32

28

42

 

出所)Government of India, Public Enterprises Survey 1997/98, 1999/2000; TISCO, 93rd Annual Report 1999/2000.