「グローバリゼーショと国際経済システム:その生成と進化をめぐって (要旨) 」

尾ア 俊哉

 

1.はじめに:

 20世紀後半に急速に実現した経済のグローバリゼーションは、財や生産要素が国境を越えて自由に取引される、GATT(WTO)-IMF体制というリベラルな国際経済システムの成立と進化のもとで、初めて可能なものであった。同体制のもとで水際の関税障壁や国内の非関税障壁の低減を進め、国境を越えた財や要素の取引が促さ、グローバルな次元での資源の効率的な配分と分業体制が確立された。その結果、世界全体の総生産は一貫して増大し続け、多くの発展途上国は貧困から開放された。戦後の経済のグローバル化は、あきらかに物質的な豊かさを世界にもたらしたのである。

 しかし前世紀末から今世紀初頭にかけて、グローバリゼーションの負の側面が急速に強調されるようになってきた。本報告はまず、経済のグローバリゼーションの何が問題とされてきているかについて、簡単な文献レビューを行う。それらの問題提起の分析を通して、我々の世界が国際経済システムを完成し、歴史を終焉させてしまったわけでもなく、「リベラルな国際経済システム」の具体的な可能性は、唯一つしか存在しないものではないことを明らかにする。その上で、より好ましい国際経済システムの構築には、新政策の立案や代替制度の設計だけでは不充分であることを指摘する。新たな政策や制度が広く受け入れられ、支持されるためには、国際社会において、そのような政策や制度を正当なものとし、評価するための価値規範の成立が伴わなければならない。グローバリズムへの省察は、政策論や制度論以上に、本質的に経済学、政治経済学のパラダイムが社会の中に取り入れられ、組み込まれていく過程をめぐる問題なのである。

 

2.経済のグローバリゼーション批判:

 経済のグローバリゼーションの何が問題とされてきたのか。90年代から急速に蓄積してきた経済のグローバリゼーションをめぐる考察は、いくつかの主要な問題意識によって分類することができる。第1に、グローバリゼーションがきわめて大きな「調整の痛み」を伴う点がある。ステイグリッツ(2002)は、発展途上国が「IMFをはじめとする国際経済機関の助言にしたがってグローバリゼーションと開発を進める過程で経験した痛みは、必要のレベルをはるかに超えていた」という。第2に、国民経済がグローバル市場への統合する際のペースや順序と主体性である。大野健一(2000)は、特に途上国側から見たグローバルな市場統合の最大の課題は、その統合圧力が「後発国が自らの統合過程をコントロールする能力を奪っている」ことにあると指摘する。

 2つの関連した問題がある。一つは調整に伴うセーフティ・ネットである。金子勝(1999)は、グローバルな次元でのセーフティ・ネットが不完全なことを問題視する。ソロス(1998)は、今日のグローバル経済の支配的な思想が、セーフティ・ネットについて冷淡であるという。グローバル経済は「市場原理主義者」によって管理運営されており、市場の不安定性の是正をセーフティ・ネットではなく市場機能に求める。もう一つの問題は、WTO、世銀、IMFなどの国際機関の意思決定の説明責任と透明性をめぐる問題である。これらの国際機関は国家の上に君臨するものではない。しかし実態は、国家への強力な命令を、密室の中で下す。その結果、これらの国際機関の決定に影響される多くの人々は、「ほとんど発言権のないまま取り残され」ることになったのである。

 更に根の深い問題もある。金子は、グローバリズムを覇権的「全体主義」と糾弾する。大野は、発展途上国がWTOに加盟して市場を開放するなかで「ローカルで特殊な米国発の『普遍原理』を受け入れざるを得ない状況に追い込まれ」ているという。ステイグリッツは、財務省やIMFが「ワシントン・コンセンサス」に教条的に固執しているという。ソロスは「極端な市場原理主義」の思想が、資本市場を介してグローバルに経済を覆っていると指摘する。グレイは、ソロスの「市場原理主義」の世界的な浸透を、1980年代のレーガン・サッチャー時代に始まった政治的行為としての「啓蒙思想」だと喝破する。グレイは啓蒙思想としての市場主義を、19世紀イギリスの「権力と国家による意図的な所産」に遡る。そのうえで、市場主義があたかも唯一無二の普遍的文明であるかのように浸透し、世界中の社会の変容を強いるものと見ているのである。

 グローバルな経済活動に伴う覇権国と途上国との政治的、社会的な緊張についての指摘は、アミン(1970)やガルトゥン(1971)等によって70年代に先鋭化した南北問題の議論を想起させる。しかし大野やグレイらは、グローバルな経済活動そのものを否定しない。現在のグローバル経済を相対化し、よりよいグローバル経済についての構想を試みる。このような考察は、同時に、今日のグローバル経済がどのようにして形成されたのかという点への省察を必要とする。いかに今日のグローバル経済の形態を相対化し、対応策を提起しても、それが実現可能でなければ、所詮は机上の空論であり、グローバリゼーションをめぐる閉塞感が、一層つのるだけだからである。そしてこのグローバル経済の生成をめぐる議論は、90年代から急速に蓄積してきた、経済のグローバリゼーションをめぐる、残された主要な問題意識の一つであり、本論の中心的課題である。

 

3.グローバル経済システムの生成をめぐる理論と現実:

 今日の国際経済システムは、特定国の意図的な政治的所産なのか。だれが、どのような過程で構想するのだろう。国際経済システムの生成をめぐって、従来は2つの代表的な仮説が提起され、検証されてきた。一つはキンドルバーガー(1973)やギルピン(1987, 2000)らに代表される覇権論である。それによれば覇権国は、安全保障上の必要から国際経済システムを構想し、力でそれを構築する。ガードナー(1969)らの研究により、米国の政府指導者たちが、戦後の国際経済システムの構想を第二次大戦中に進め、英国との協調のもと、その樹立に強力な指導力を発揮したことが明らかにされた。そこから覇権論者は、今日の国際経済システムは、米国の指導者の価値観に基くものであり、そのシステムの安定性は、覇権国としての米国の強さを反映していると主張する。同システムの維持や発展を含むガバナンスは、一義的に国際関係における力関係と、覇権国のリーダーシップの方向性によって規定される。

 覇権論の意義と限界についての石黒馨(2001)の卓越した分析に明らかなように、覇権論に対しては、多くの批判が投げかけられてきた。ストレンジ(1997)は、グローバリゼーションによる覇権論の崩壊を実証的に分析している。問題領域ごとに、多国籍企業、国際的な職能団体、NGOネットワーク、国際犯罪グループなど、様々な非国家アクターへの国家からの力の移転によって、権力の国家による独占が終焉している。もはや「覇権国家米国」は、張子の虎ですら無いのである。

 このような覇権論の行き詰まりと前後して、コヘイン(1984)、マーティン(1992)らによる、ゲームの理論を応用した制度の国際政治経済学が発展してきた。国際関係を囚人のゲームにおけるナッシュの均衡状態と捉える。国家より上位の権威が存在しない国際関係では、自国の安全を各国との協力によって実現することが困難だからである。その上で、繰り返しゲームのもとでのトリガー戦略に基いた協力の可能性に着目する。国際関係は繰り返しゲームのような長期的な関係である。国際公共財としての国際経済システムは、市場に透明性と規律を与え、ただ乗りを排することで、加盟各国の厚生を長期的に増大させる。よって国際関係において囚人のジレンマに直面している各国が、そのような国際公共財の提供にむけた協力関係を築くことができるというものである。

 もう一つの仮説は、国内政治の分析に基く。ケーヴス(1993)は、米国のような多元的民主国家では、政策は有権者の選好におもねると言う。有権者は国民経済全体の厚生ではなく、個人や利益集団の効用の最大化という観点で政策を選好する。自由貿易のような国民経済の次元で望ましい政策が採用される保証はない。ケーヴスは、政府が組織としての効用の最大化をめざした独自の動きをする場合も想定している。これは、過去の関税交渉が難航した一因として、保護を求める産業の反対以上に、政府自体が被る税収上の影響の大きさを指摘したバグワティ(1991)らの主張とも共通する。政策形成を、利益集団の分布を説明変数に置いて明らかにしようというものである。より最近では、ノース(1990)や青木昌彦(1995)らの制度学派による、ゲームの理論を応用した、より精緻な制度分析が行われてきた。プレイヤーは限定的な合理性、非対称的な情報、交渉に際してのゲームのルールや前提、経路依存などによって受ける制約などのもとでの利潤の最大化を試みていることになる。そこでは、追及する利益が、制度によって重大な影響を受けていることが示される。

 このような視点から見た国際経済システムの生成と進化は、覇権論のそれとは全く異なった物となる。米国が国際経済システムの設計に積極的に関わってきたのは事実である。しかしその国際経済システム構想は、国家の覇権的野望を反映したものではない。各種の利害団体が政府や議会に対して激しいロビイングを行う。政府の各部門も独自の利害を抱え、プレイヤーの一員となる。だからこそダイボルド(1950)が明らかにしたように、米国は、国務省が大胆な多国間貿易自由化をITO憲章によって提起し、各国の合意をとりつけながら、議会対策の中でITO批准を諦めたのである。またゴールドシュタイン(1993)が明らかにしたように、GATT体制において多くの例外措置を許容し、自由化と保護貿易の奇妙な混在をいまだに引きずっているというわけである。さらにその後の研究では、ケネディ、東京、ウルグアイとラウンドを重ねて発展してきたGATT体制も、貿易収支の赤字転落、繊維問題、非関税障壁、知的所有権、サービス貿易など、それぞれの時代に抱えた内政上の課題や、それをめぐる強力な利益集団のロビイングが、主要国のラウンドへの態度と密接に関連していることが明らかにされた。より最近では、グローバリゼーションの本質を、多くの民主国家で国内の利害分布が似てきたため、時を同じくして似たような政治選択がなされ、その帰結として、ガバナンスの民営化と拡散に主導された、国境の内部における制度的な枠組みの変容が同時進行してきたものとする見方も提起されている。(サッセン:1997)

 国際経済システムをめぐる各国の国内政治の動きは、明らかにされてきた。しかし、どのようにして各国の多様な意見が一つの合意に収斂されるのだろう。例えば各国政府が関税の引き下げについて、狭い利益集団の声に縛られ有権者におもねる政策ばかりを採用していたというのなら、なぜ国民経済の次元で好ましい、多角的でより自由な貿易システムについての合意が実現できたのか。これが、国内政治仮説の抱える最大の欠点であり、覇権論を含めた現実主義者たちは、その主張を再開する。結局、各国の相対的な力関係を反映した発言力、わけても米国の覇権的な指導力をもとに説得や妥協が重ねられ、意見が集約されるという。このように、国際経済システムの生成をめぐる考察は、覇権論や制度の国際政治論などの議論と、国内政治の行動論や制度論に基く議論とに分断されてきた。双方の主張は続くものの、二つのアプローチを相互補完的なものとして統合しようとする試みも出てきている。その一つがプトナム(1988)による2レベルゲームモデルである。国内政治と外交交渉を2つの同時進行ゲームと見立て、その2つの間がウインセットとサイドペイメントによって連携した、一体化された2レベルゲームとしてモデル化を試みている。

 国際経済システムの生成と発展に当てはめてみると、次のような複雑な2レベルゲームの連鎖が示される。当初の段階は、戦時下の米国にあって国務省が戦後構想を一元的に任されていた。典型的な利益政治から隔離された中、国務省のエリートは、米国の安全保障を安定した国際秩序の構築に置き、一翼を担うものとして国際経済システムが構想された。国際交渉では、米国の圧倒的な地位、英国との戦時借款協定に付随した米英の一連の事前合意、そしてソ連を除く連合国との間で育まれた戦時協調関係を背景に、多国間の自由貿易構想を国際秩序と結びつける米国の提案に、早い段階で国際的な合意を成立させる。しかし基本的な枠組みを詳細な合意文書に作成する過程で、主に雇用や農業、そして戦後復興を担当する各国の経済政策当局が、貿易の自由化の下で、その政策的自由度を確保すべく利益集団化した。そして自由化の範囲、輸入割当を始めとする例外規定、投資規制、経済開発に関する国家の責任などの項目で、ことごとく米国と対立するのである。

 終戦後に本格化した交渉のなかで、大枠での合意の維持のために、ひとたび米国が個別項目での妥協を始めると、米国内の利益政治プロセスが開かれる。農業ロビーが保護主義的な要求を出す一方、貿易自由化をめざす産業界は、保護主義が制度化されるよりも交渉決裂がましだと主張する。このようにして米国の典型的な多元的国内政治プロセスに巻き込まれた国務省は、国際交渉におけるサイドペイメントと、国内政治でのそれとの複雑な連鎖のなかで、国際交渉の場で妥協を重ねて合意したITOの米国の批准を諦め、ITOの中に統合される予定であった、先行的な関税交渉の場としての「暫定的」GATT体制に、戦後の貿易枠組みを委ねていったというものである。

 その後のGATTラウンド交渉においても、同様の2レベル分析が試みられている。興味深いのは、先に触れたような、国内政治プロセス分析によって明らかにされたラウンドの発足をめぐる米国の国内事情に加え、各交渉における国際的なゲーム環境の変化である。ケネディ・ラウンドでは、ゲームの理論で言うコア・グループ(グループ)による合意の先導性を具現したように、米英を中心とした主要国での合意がそのまま国際的な合意の形成につながっていた。しかし東京、ウルグアイとラウンドを重ねるごとに、GATT加盟国が増加し、新興工業国、発展途上国がGATTに加盟するなかで、加盟国構成が変化し、対象品目が拡大する中、合意の達成に著しく時間がかかり、多大な妥協と、複雑なサイドペイメントが必要になっていったのである。

 さらに最近では、社会学における社会構築(Social Construction)への洞察の応用による、従来の議論の再検討が進められている。これまでは、いずれの考察においても、政府や利益集団の利得を所与としてきた。ゲームの理論では、全てのプレイヤーが利益最大化の動機を共有し、プレイヤーの利害は一定のものとして客観的に比較できる。同じプレイヤーが選好を変更することは、ルールが変更され(よって、全てのプレイヤーの利得関数が変更される)たり、情報の完備性(相手のプレイヤーの利得関数を知っているか否かについての前提)や完全性(過去の歴史を知っているか否かについての前提)が変更されたりした結果として、起こりうる。しかし国際経済システムの生成をめぐる考察では、通常は覇権論における相対的な力や、それ以外のアプローチにおける所得と相関した効用が、利得の普遍的な物指しとされてきた。例えば保護貿易を求める利益集団は、世界中のどの集団であっても、貿易自由化によって所得が減ることを根拠に反対だというものである。

 それに対して社会構築に着目する研究者は、プレイヤーの効用が社会的、文化的な文脈や規範によって構成されることに着目する。そもそも、ある政策が政策立案者にとって意味を持つためには、マルクス経済学であろうと新古典派であろうと、その政策が依拠し、評価される理論的な枠組みが社会的に受け入れられ、大学などでの制度化された研究や教育によって再生産され、社会規範の一部として成立していなければならない。異なった国や社会に属するプレイヤーが集う国際交渉では、情報の完備完全の状況下でも、それぞれのプレイヤーが自分の持つ価値観や規範に基いて異なった利得関数の認識を行う可能性があるというものである。異なったプレイヤーが同じ対象に異なった利得を認識することは、ゲームの理論でも想定されている。その代表例が、例えば男性と女性のプレイヤーで例えば野球観戦とオペラ鑑賞について異なった選好をもつことで、複数のナッシュ均衡を持つ「両性の戦い(battle of sexes)」である。男性が野球観戦をオペラ鑑賞よりも好み、女性がその逆を好むとき、二つの催しのどちらかを選択してデートをする均衡解が、2つ存在するというものである。しかしここでゲームの理論が所与として問わず、社会構築に着目する研究者が問いかける問題は、なぜプレイヤーが、同一の対象に異なった利得関数をもつのか、また、ゲームのルールや前提が一定のもと、どのような状況でプレイヤーの利得関数が変わる(例えば、男性の野球観戦とオペラ鑑賞についての利得関数が女性のそれと同じになる場合) のか、といった点である。

 ハース(1982)やラギ(1982, 1992)らによる、国際経済システムの社会的側面の考察では、システムの生成をゲームの理論が想定するような物質的、機能的な利得関数の均衡において理解するのでは不十分と言う。一つの国際経済システムが成立するためには、それを正当なものとして認め、積極的に支持し、その維持と再生産に参加するような参加国の動機が持続する必要がある。ラギは、そのような動機の本質は、均衡をもたらすような利得関数の前提にある共通の規範や価値観だと指摘する。その上で、戦後の国際経済システムが持続する根底に、各国による市場経済についての社会的なコンセンサスの成立と成熟があるとし、これを「(社会に)埋め込まれたリベラリズム」と呼んだ。そして規範の共有が進むほど、集権的な権威がなくても協力が円滑に進む「権威の拡散現象」を指摘し、覇権論とは異なった国際経済システム成立のダイナミズムを提起している。

 例えばリップセット(1984)は、南北問題の先鋭化の背景にあった、1960年代から70年代へかけての、国際経済に関する規範の急速な変容を明らかにした。新国際経済秩序とは、国際経済システム、特に貿易と投資のゲームのルールを、国際社会の規範上「非合法」化しようとした動きだったという。フィネモア(1994)は、同時期に世銀の使命が戦後復興から貧困の撲滅に変わる背景としての、国際機関と主権国家との関係や、国家の開発と分配をめぐる規範についての劇的な変転を明らかにした。世銀や開発援助政策担当者や専門家の貧困問題についての利得関数の変化は、貧困と国家、国際期間との関係をめぐる規範の変化に伴われたのである。このような、価値や規範の役割への認識が深まるにつれ「市場原理主義」の政策における影響力も相対化され、社会的な文脈の中で再検討されることが可能となる。それと共に、経済思想が社会規範の構築に果たす役割も再認識される。

 

4.グローバル経済システムの生成と進化:

 経済のグローバリゼーションに対する批判的議論をめぐっては、3つのデジャ・ヴがある。一つは国内の経済政策をめぐる、新古典派とそれ以外(ケインズ主義、ファビアン派やマルクス主義)の経済学思想との間での議論である。グローバル経済への批判の多くは、市場を重視する新古典派の経済政策へのケインズ的な立場を始めとした各種の批判を、グローバルな次元で再現したものではないか。二つ目は、国民経済が対外的に開放される過程で発生する調整への不安・不信と反発である。南北問題に加えて、S-シュレベール(1968)が「米国の挑戦」で警告し、ヴァーノンが「追い詰められる国家」(1971)で分析した、多国籍企業への不信、国際経済活動と政府との緊張関係をめぐる批判の再来ではないか。そして最後は政策研究と制度研究、社会構築研究の間の議論である。最近のグローバル経済批判の根底には、なぜレーガン・サッチャー両政権が、時を同じくして新古典主義的な市場開放政策に舵を切ったかをめぐって政策研究と制度研究や社会構築研究との間でかわされた議論を、グローバルな次元で再現したものではないか。政策研究では、どの政策が最も効率がよく、費用対効果が高いかが問われ、最適解としての政策が提言される。他方、制度研究では、なぜそのような最適解が選択されるとは限らないか、政策の選択と実現には制度や社会的規範、価値観の複雑な相互作用が影響しているかについて、検討される。

 興味深いことに、今日のグローバル経済への批判的な議論の多くは、意識的にか無意識的にか、覇権論をもとに展開されている。金子や大野、スティグリッツやグレイのグローバリズム批判には、経済のグローバル化の強力な推進者としての、米国の存在が指摘されている。米国が戦後の国際経済システムに重要な役割を果たしてきたことは否定しようが無い。しかし前節で、単純な覇権論が成立するほど、米国が覇権的な野望を常に抱いて行動しているわけでも、また世界が米国の力に一方的に屈しているわけでないことも明らかになった。そこで注目されるのは、いかにして国際的な政策へのコンセンサスが形成されるか、という点である。制度の政治経済学からは、ゲームの理論を応用することで、興味深い示唆が得られた。ある制度のもとで決定される利得関数に基づいて、各国は利潤最大化の行動を起こす。また、社会構築の視点からは、ゲームの理論で所与のものとする利得関数の形成における、社会的な価値観や規範の重要性と、その変容に伴う利得関数の変転への観察をもとに、国際経済システムをめぐる各国のコンセンサスや支持の背景にある、国際社会規範の成立の重要性が指摘された。

 かつてクルーグマン(1995)は、80年代の米英における新古典派の盛隆を、レーガンやサッチャーが、怪しげな政策プロモーターの学説を政治的に利用したことに始まると主張した。確かにそのような側面を否定できないとしても、それが社会的に定着していった過程は、それだけでは説明がつかない。一定の社会的なコンセンサスとして定着するには、もっと広範な社会的次元での規範の再構築が起こっていなければならないはずである。これは、グローバル経済を支える国際経済システムが抱える課題に対して、新古典派のアプローチでは十分に対応できないというのであれば、それに代わる政策を提示するだけでは不充分だということでもある。代替政策が広く受け入れられ、支持されるための国際社会での価値規範の成立が伴わなければならからである。グローバリズムへの省察は、政策や制度としての国際経済システムの生成と新化をめぐる問題である以上に、本質的に経済学、政治経済学のパラダイムが社会の中に取り入れられ、組み込まれていく過程をめぐる問題なのである。(終)